「雌雄(しゆう)を決する」。戦って、どちらが勝つかをはっきりさせることです。優勝決定戦、選挙の一騎打ち、タイトル戦の最終局。
雌はめす、雄はおす。勝ち負けの話なのに、なぜ動物の性別が出てくるのでしょう。
出どころは『史記』項羽本紀。言ったのは楚の項羽(こうう)です。そして申し込まれた漢の劉邦(りゅうほう)は、それを笑って断りました。
第1話 · 谷を挟んで
漢の四年、西暦でいえば紀元前 203 年。楚と漢は、広武(こうぶ)という土地で向き合っていました。
谷を挟んで、東と西に砦がひとつずつ。その間は、百歩とも二百歩あまりとも伝わります。呼べば声の届く距離で、にらみ合いが何か月も続きました。
先に動いたのは項羽です。捕らえていた劉邦の父を高いまな板の上に載せ、降伏しなければ煮殺すと脅しました。劉邦の返事はこうです。わしとお前は兄弟の契りを結んだ仲。わしの父はお前の父だ。どうしても煮るなら、わしにも一杯、そのスープを分けてくれ。
脅しは空振りに終わりました。戦は決着がつかない。若い男たちは従軍に疲れ、老人と子どもは兵糧を運ぶのに疲れ果てていました。
第2話 · 二人で決めよう
そこで項羽は、劉邦にこう呼びかけます。
天下匈匈(きょうきょう)たること数歳なるは、徒(ただ)吾が両人を以てのみ。願わくは漢王と挑戦して雌雄を決せん。徒(いたず)らに天下の民の父子を苦しむることを為す毋(な)からん(『史記』項羽本紀)
天下が何年も騒がしいのは、ただ我ら二人がいるからだ。漢王と戦って、雌雄を決したい。天下の民を、父も子も、これ以上むだに苦しめるのはやめよう。
注釈の一つは「挑戦」を、身ひとりで戦うことと説明しています。同じ場面を記した高祖本紀も、項羽はただ一人で挑もうとした、と書いています。つまり、一騎打ちの申し込みです。
劉邦は笑って、こう答えました。わしはむしろ智恵で戦う。力では戦えぬ。
高祖本紀の劉邦は、項羽の罪を十も数え上げたうえで言います。罪人にでもお前を打ち殺させればよい、なぜわざわざお前と一騎打ちなどするものか、と。怒った項羽は伏せておいた弩(いしゆみ)で劉邦を射ます。矢は胸に当たりました。ところが劉邦は、足を押さえて叫びます。あいつめ、わしの足の指に当てやがった。
第3話 · 一人の敵
この申し込みには、皮肉がひとつあります。
少年のころの項羽は、字を習っても続かず、剣を習っても続かず、叔父に叱られました。そのときの言い分が、これです。
書は以て名姓を記すに足るのみ。剣は一人の敵、学ぶに足らず。万人の敵を学ばん(『史記』項羽本紀)
剣なんて、一人を相手にするだけの技だ。学ぶなら、一万人を相手にする術がいい。そう言って兵法を選んだ人が、天下の行方を一対一の勝負で決めようとしたわけです。
しかも同じ年、項羽は留守を預ける部下の将に、漢が挑発してきても決して戦いに応じるな、と命じています。挑発に乗るなと言ったのは、項羽自身でした。命じられた将は、何日も罵られ続けたあげくに打って出て、大敗しています。
一騎打ちを断った劉邦は、翌年、垓下(がいか)で項羽を追いつめます。司馬遷は項羽を、力で天下を治めようとした、そして五年で国を失った、と評しました。
第4話 · めすと、おす
雌も雄も、右側に隹(ふるとり)がつく字です。後漢の字書『説文解字』は、雄を「鳥の父」、雌を「鳥の母」と説明しています。もとは鳥のおすとめすでした。
それが強い側と弱い側、上と下のたとえになります。『史記』には、秦と斉を指して「雄雌の国なり」、両雄は並び立たず、雄となった国が天下を得る、と説く人も出てきます。雌雄を決するとは、どちらが雄かを決めることでした。
日本でも平安時代から使われていて、手紙の文例集『明衡往来(めいごうおうらい)』に、もう「決雌雄(雌雄を決す)」と出てきます。保元の乱の当日を記した貴族の日記にも、合戦がすでに雌雄に及んだ、とあります。『太平記』は巻二十八で、この広武の場面そのものを語り直していて、項羽にこう言わせています。我と沛公(はいこう)と独身にして雌雄を決すべし。沛公は劉邦のこと。独身は、身ひとりで、という意味です。
いまも決勝の前には、この言葉が使われます。ただ、『史記』でこれを口にした男は、その勝負を相手に受けてもらえませんでした。
天下を取ったのは、雌雄を決するのを笑って断ったほうです。