「自然」という言葉、いま使うのはたいてい「山・川・森」。人の手の入っていない世界を、まるごと指す名詞です。

でも、もとの「自然」は、山でも森でもありませんでした。「おのずから、そうである」という、ようすを言う言葉だったんです。

第1話 · おのずから、そうである

『老子(道徳経)』第二十五章に、よく知られた一節があります。

人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る(『老子』第二十五章)

人は地を手本に、地は天を、天は道を手本にする。では、その道は?——「自然」に、と。

この「自然」は、山川草木ではありません。「自(おのずか)ら然(しか)り」——誰に命じられたでもなく、ひとりでにそうなっている、そのありよう。名詞ではなく、ようすを言う述語です。『老子』に「自然」は五回しか出ませんが、どれも同じ。

しかもこの十三字は、現存最古の写本——紀元前 300 年より前の郭店(かくてん)の竹簡にも同じ形で入っている。二千三百年、ぶれていない。

第2話 · 「じねん」と「しぜん」

日本に渡ると、読みが割れます。漢籍から来たものは「しぜん」、仏典から来たものは「じねん」(傾向の話で、きっちり線が引けたわけではありません)。中世の「しぜん」にいたっては、意味が「もしも」「万一」でした(『曾我物語』)。

一方の「じねん」は、原義を守り抜きました。親鸞は『末燈鈔』にこう書きます。

自然といふは、自はおのづからといふ、行者のはからひにあらず(親鸞『末燈鈔』自然法爾章)

「自」は「おのずから」、人のはからいではない。老子の「自ら然り」とそっくりです。読みは割れても、指すものは同じ——人がはからわない、ということ。

第3話 · 辞書のなかの、逡巡

さて、西洋から nature が入ってきます。これをどう訳すか——じつは、明治を待つまでもありません。寛政八年(1796 年)、稲村三伯(いなむらさんぱく)らの『波留麻和解(ハルマわげ)』が、オランダ語の natuur に「自然」を当てている。最初期の例です。

ただし、すんなりとは通りません。桂川甫周(かつらがわほしゅう・国興)らが改訂増補した『和蘭字彙』は、名詞の natuur に「自然」を当てるのは切当ならず——ぴったり来ない、と斥けます。

文久二年(1862 年)、日本初の本格的な英和辞典『英和対訳袖珍辞書』の nature の欄はこうです。「天地萬物、宇宙、本體、造物者、性質、天地自然ノ道理、品種」。これだけ並べて、「自然」だけが単独で立たない。「天地自然ノ道理」——天地を主語にした述語のままなんです。

第4話 · 同じ二字で、別のものを

転回点は、明治二十二年(1889 年)。四月十一日、『女学雑誌』に巌本善治(いわもとよしはる)が「文学と自然」を寄せます。最上の文学とは、自然のままに自然を写したもの——という主旨。巌本の「自然」は、老子以来の「おのずから然り」に近い。

ひと月後の五月十一日、森鷗外(もりおうがい)が『国民之友』誌上で反論します。鷗外の「自然」は別物——科学が観察する客観的な nature、人間の精神と向かい合う外側の自然界でした。

同じ二文字で、二人は違うものを指していた。巌本のは「ようす」、鷗外のは「もの」。文壇は、鷗外のほうへ流れます。

明治の末、1912 年。井上哲次郎(いのうえてつじろう)らの『英独仏和哲学字彙』が、nature の訳語を並べたそのいちばん最後に、ようやく一語を書き足します。——「自然」。

「経済」には福沢諭吉と神田孝平が、「自由」には中村正直がいました。でも「自然」には、決定的な訳者がいない。誰も「これに決めた」と言わないまま、ようすを言う言葉が、ものの名前になっていた。

「自然を守ろう」——その二文字はもともと、守る対象ではなく、おのずからそうである、というありようの名でした。守りたかったのは、たぶん、そっちのほうです。