「糟糠の妻」。貧しかった頃から連れ添った妻のことです。たいていは、あまり良くない文脈で出てきます。
ところで糟糠とは何でしょう。糟は酒かす、糠は米ぬか。どちらも、残ったほうです。
第1話 · 残ったほうを、食べる
米を搗(つ)けば糠が出ます。酒を搾れば糟が残ります。どちらも本体ではなく、外された側。ふつうは食べません。
もっとも、日本語ではどちらも生き残っています。糠は糠漬けの糠、糟はいま「粕」と書く酒粕。残ったほうを工夫して食べる知恵は、こちらにもあった。ただしそれは、ほかに食べるものがある人の工夫です。それしかない、となれば話は変わります。
「糟糠の妻」は、その「それしかない」時期を一緒に越えた相手を指しています。
言ったのは宋弘(そうこう)という人でした。後漢のはじめ、光武帝に仕えて大司空(だいしくう)——三公の一つにまで上った臣です。自分が推挙した相手でも、雅楽を乱す俗曲で皇帝を喜ばせれば呼びつけて叱る。そういう硬骨で知られていました。
第2話 · 屏風の後ろ
あるとき、光武帝の姉である湖陽公主(こようこうしゅ)が夫を亡くします。
帝は姉と一緒に、朝廷の臣たちを一人ずつ論じてみました。あの者はどうか、この者はどうか。品定めの形をとりながら、それとなく意中を探ったわけです。
公主は言いました。宋公の威容と徳器は、群臣の及ぶところではありません——威厳のある佇まいと、そなわった徳と器量。容姿でも家柄でもなく、人としての中身を挙げています。
帝は答えます。まさに、これを図ろう。
宋弘に妻があったかどうか、『後漢書』は書いていません。ただ、このあとのやりとりは、妻がいるという前提の上に立っています。
そして宋弘を呼びました。そこで、ひとつ仕掛けをします。公主を屏風の後ろに座らせたのです。当人に聞かせながら話を進めるつもりでした。
第3話 · 諺に言う
諺(ことわざ)に言う、貴くなれば交わりを易(か)え、富めば妻を易う、と。人情であろうか(『後漢書』宋弘伝)
地位が上がれば付き合う相手を変え、金ができれば妻を変える。世間ではそう言うが、それが人情というものだろうか——。
わざわざ「諺に言う」と切り出しているところに、この問いの性格が出ています。自分の考えとしてではなく、世間ではそう言うものだが、と前に置く。断ってもいいし、乗ってもいい。ここで宋弘が「人情でしょうな」と応じれば、話はそのまま進みました。
宋弘の答えはこうでした。
臣聞く、貧賤の知は忘るべからず、糟糠の妻は堂より下さず(『後漢書』宋弘伝)
貧しかった頃の友は忘れてはならない。糟糠の妻は、堂から下ろさない。堂は母屋のことで、「下堂」は離縁して家から出すことを言います。
第4話 · 事、諧(ととの)わず
帝は公主のほうを振り返って、言いました。
事、諧わざるなり。
この話はまとまりませんでした——と、屏風の後ろに向かって告げたわけです。公主はそこで、自分との縁組が断られる一部始終を聞いていたことになります。
宋弘のほうは、屏風の後ろに誰がいるかを知っていたのかどうか。『後漢書』は書いていません。知らずに答えたのなら見事な偶然ですし、察していたのなら、その上での物言いということになります。
いま「糟糠の妻」は、たいてい妻の側を指す名詞として使われます。しかも出てくる場面の多くは「糟糠の妻を捨てる」「糟糠の妻を追い出す」で、離縁する側を責める形です。
けれど、もとの一文は夫のほうが立てた誓いでした。宋弘も「臣聞く」と前に置いています。ただ帝と違い、置いたあとでそのとおりに断った。しかもその誓いは、皇帝の姉との縁組を蹴るために、断られる当人の耳の前で立てられている。追い出さない、と言い切ったほうの言葉が、いまは追い出す話に付いて回っていることになります。
酒かすと米ぬかを一緒に食べた相手を、家から下ろさない。ずいぶん飾りのない言い方で、宋弘はそれを断りの理由にしました。