「上の意向を忖度して」。言われる前に、目上の人の気持ちを先回りして汲み取り、それに沿って動くこと。『デジタル大辞泉』の語釈には、「おしはかって相手に配慮すること」とあります。「忖度」は 2017 年に一気に広まった言葉で、どこか後ろ暗い響きもあります。
字は、忖も度も「はかる」。度を「たく」と読むのは、はかる意味のときです。身じたくの「支度(したく)」の度も、もとは同じ「はかる」でした。
いまは上の人の心をはかる言葉ですが、さかのぼると、古い注釈の読みでは、はかられていた心は、まず告げ口をする者の心でした。
第1話 · 告げ口する者の腹の内
出どころは、中国最古の詩集『詩経』。その小雅に収められた「巧言(こうげん)」という詩です。巧みな言葉、つまり人を陥れる告げ口、讒言(ざんげん)を嘆く詩で、古い序は、讒言に傷つけられた役人の作とします。
他人心有り、予(われ)之を忖度す(『詩経』小雅「巧言」)
前後はこうです。立派な宗廟は君子が建て、国の大きな道は聖人が謀った。他人に心があれば、私はそれを推しはかる。跳ね回るずるい兎も、犬に出会えば捕まる。
後漢の鄭玄(じょうげん)は、自分には讒言する者の心を推しはかることができる、と注しています。唐の孔穎達(くようだつ)はもう一歩はっきり書きました。讒言する者は、自分のたくらみは深く隠せていると思っている。だが私には分かる、と。
『詩経』の忖度は、相手の腹の内を見抜く目でした。
第2話 · 心を読まれた王
この一句を引いた有名な場面が、『孟子』にあります。
戦国時代、斉の宣王(せんおう)が広間にいると、牛が引かれていきました。新しい鐘に血を塗る儀式の、いけにえです。王は言いました。放してやれ。罪もないのに震えながら死に向かうのは、見ていられない。代わりに羊を使え。
ところが民は、王が大きな牛を惜しんだのだ、けちだ、と噂します。王自身も首をかしげました。財を惜しんだわけではない。いったい、あれはどういう心だったのか。
孟子は答えます。牛は見たが、羊は見ていなかったからです。目の前で震える命を、見過ごせなかった。それこそが仁の心です、と。
王は喜んで言いました。
詩に云う「他人心有り、予之を忖度す」とは、夫子(先生)の謂いなり(『孟子』梁恵王上)
自分でしたことなのに、振り返っても自分の心が分からなかった。先生に言われて、胸に響いた——。ここで忖度したのは孟子で、心を読まれたのは王でした。
第3話 · 1949 年の国会
日本では、『精選版 日本国語大辞典』が挙げる最も古い例は、平安時代の菅原道真の漢詩集『菅家後集』です。
時代はずっと下って、昭和の国会の記録を開いてみます。
1949 年 1 月、参議院の法務委員会。疑獄事件として知られる昭和電工事件で、会社の社員が証人に立ちました。委員長は、会社の重い立場にいるのだから、社長がどういう気持ちで動いているか、忖度できないようでは仕事にならないだろう、と迫ります。
やりとりの中で、証人はこう答えています。
社長の命令があつたか、或いは私の方で忖度してやつたか(参議院法務委員会、1949 年)
国会の会議録には、1950 年代から 70 年代にかけて、「忖度」を含む発言が年平均で 50〜70 件ほどあります(意味を問わずに数えた件数です)。
第4話 · 2017 年
2017 年 3 月、森友学園への国有地の売却をめぐって、国会で「忖度」が飛び交います。3 月 23 日、学園の理事長だった籠池泰典氏は、日本外国特派員協会の会見で「忖度をしたということでしょう」と語りました。会見では通訳が訳に苦心し、別の通訳から、英語にそのまま言い換えられる言葉はない、という補足もあったと報じられています。
同じ数え方で国会の会議録を見ると、「忖度」を含む発言は、2017 年からの 3 年間、毎年 200 件を超えました。2017 年の暮れには、「忖度」が新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれています。
告げ口する者の腹を見抜く目から、王の心を言い当てる言葉へ。上の人の意向を先回りして汲む使い方そのものは、2017 年より前からありました。2017 年に変わったのは、この言葉を誰もが口にするようになり、「忖度が働く」のような言い方まで広まったことでした。