「他山の石」。他人の誤った言行も、自分を磨く助けになる、という意味です。

『広辞苑』などの辞書には、手本にしたい行いや、目上の人の言行には使わない、と注意書きがあります。「先生のお言葉を他山の石とします」と言えば、先生の言葉を、よその山の粗い石と呼んだことになるからです。

ところが、出どころの詩を読んでも、他人の失敗の話は出てきません。

第1話 · 鶴の鳴く沢

出どころは、中国最古の詩集『詩経』。その小雅に収められた「鶴鳴(かくめい)」という、二章だけの短い詩です。

深い沢の奥で鶴が鳴くと、その声は野にまで、天にまで届く。魚は淵に潜み、ときに渚に出てくる。楽しいあの園には立派な木が立ち、その下には落ち葉が積もる。そして、二つの章はどちらも同じ形の一句で閉じます。

他山の石、以て錯(といし)と為すべし。……他山の石、以て玉を攻(みが)くべし(『詩経』小雅「鶴鳴」)

よその山の石でも、砥石になる。玉を磨くのに使える。磨け、と命じる句ではありません。

詩はそこで終わります。石が何のたとえなのか、詩そのものは何も言っていません。

第2話 · よその国に埋もれた人

いま読める最も古い答えは、漢代の注釈にあります。

『詩経』の序は、この詩を「宣王(せんおう)を誨(おし)う」、つまり西周の宣王を諭す詩だとします。後漢の鄭玄(じょうげん)はさらに、王に「まだ仕えていない賢人を求めよ」と教える詩だ、と説きました。

注釈によれば、沢の奥で鳴く鶴は、隠れていても名の聞こえる賢者。そして鄭玄は、「他山」をよその国のたとえと読みました。石は、よその国でくすぶっている賢い人です。

唐の孔穎達(くようだつ)の注釈は、この漢代の読みをこうまとめています。国が賢者を得て治まるのは、宝玉が石に磨かれて器になるようなものだ。だから、探しに行かねばならない、と。

この読みでは、石は見下す相手ではなく、招かれるべき人材でした。

第3話 · 玉と玉では磨けない

漢代の注釈から千年近くのち、北宋で読みが変わります。

十一世紀、洛陽の学者邵雍(しょうよう)の解釈として、こんな読みが伝わっています。玉は、あたたかくなめらかなもの。二つの玉をこすり合わせても、磨けはしない。ざらざらした粗いものがあって、はじめて磨ける。同じ洛陽の程顥(ていこう)・程頤(ていい)兄弟——あわせて程子と呼ばれます——が、この解釈を弟子に語った記録が残っています。

南宋の朱熹(しゅき)も、注釈書『詩集伝』にこの説を程子の言葉として引いています。

両玉相磨すれば、以て器を成すべからず。石を以てこれを磨きて、然る後に玉の器たる、成るを得(朱熹『詩集伝』所引)

この読みでは、玉は君子、石は小人(しょうじん)。徳のない、つまらない人です。君子が小人と一緒にいて、侮られ、攻められるからこそ、我が身を省み、心を鍛え、道理が身につく。同じ箇所は、石の粗さを「天下の至悪」、この世でいちばん醜いものとまで呼んでいます。

朱熹は、この詩が宣王に向けたものだという序の説を採りませんでした。詩が作られた事情はわからない、と書いています。石は、招く相手から、我慢して付き合う相手に変わりました。

第4話 · 日本が受け取った石

日本で広く受け継がれたのは、この北宋の読みです。『日本国語大辞典』が最も古い例に挙げるのは、江戸前期の儒者・熊沢蕃山(くまざわばんざん)の『集義和書』(1676 年ごろ)。

「他山の石はあらきが故に、よく玉をみがく」。君子の徳を大きくするのは小人だ、と続きます。北宋の読みそのままです。冒頭で見た「他人の誤った言行」という意味は、この系統から来ています。

一方、中国語の「他山之石」は、他人や他国の経験を参考にする、という広い意味でいまも使われます。日本でも、幕末の 1863 年に開かれた蘭学塾を起こりとする攻玉社は、外国を「他山の石」に見立てて、句の後半「玉を攻(みが)く」から名を取りました。

平成 25 年度の文化庁の世論調査では、「本来の意味」とされる「他人の誤った言行も自分の行いの参考となる」を選んだ人が 30.8%、「他人の良い言行は自分の行いの手本となる」を選んだ人が 22.6%でした。手本の意味で使うのは、いまも誤りとされています。

漢代には招かれる賢者、千年近くのちには玉を磨く粗い石。日本語が受け取ったのは、あとのほうの石でした。