「台風」という二文字、いかにも日本語です。天気予報でも、休校の連絡でも、当たり前に使っている。
でも英語では typhoon。たいふう/タイフーン——偶然にしては似すぎです。どっちが先だったんでしょう。
第1話 · 野分と、颶風と
日本語には、もっと古い呼び名がありました。野分(のわき)。野の草を吹き分けていく、秋の大風です。
『枕草子』にも出てきますし、『源氏物語』には「野分」の巻もあります。ただし文学の言葉で、のちの気象学用語のような定義を持つわけではありません。
江戸の後期には、漢籍を通じて颶風(ぐふう)という語が使われはじめます。安政四年(1857 年)、蘭学者・伊藤慎蔵(いとうしんぞう)が『颶風新話』を訳します。日本で最初の航海用気象書とされる本で、書名にもこの字が入っている。
明治に入っても、しばらくは「大風(おおかぜ)」と書くか、「タイフーン」とカタカナで書くのが普通でした。
第2話 · 南の海の、二つの字
中国では、この手の風をずっと颶と呼んできました。五世紀ごろの『南越志』——いまは失われ、宋の百科事典に引かれて伝わる本——に「颶は四方の風を具(そな)う」とある。四方から吹き込む渦の風、と読まれてきました。
そこへ遅れて現れるのが、颱。十七世紀末の『臺灣府志』が、二つを並べて説明します。
風の大にして烈しき者を颶と為し、又た甚だしき者を颱と為す——風大而烈者爲颶、又甚者爲颱(『臺灣府志』風信)
颶は不意に起きて不意にやみ、颱はじわじわ来て何日も続く。海で遭ったら、颱のほうが手に負えない、とも。
不思議なのは、この颱の字が『康熙字典』にも『正字通』にも載っていないこと。国語学者の新村出(しんむらいずる)は、出どころをさらに古い『福建通志』台湾府の、四季の風を記した「四時風信」に求めました。
第3話 · 明治の終わりに、字を当てる
「たいふう」という日本語が姿を見せるのは、明治の末。
のちに中央気象台長となる岡田武松(おかだたけまつ)が、typhoon にあたる語として中国の文献から「颱風」を持ってきた。よく「明治四十年に命名した」と語られる筋書きです。
ただし、その年の刊行物は見当たりません。現物で確かめられるいちばん古い例は明治四十一年(1908 年)。しかも当人は後年、この語を論じたのは明治三十五年(1902 年)だと書き残しています。定義を与えたという話も、書いていない。
戦後は、字のほうが動きます。1946 年の当用漢字表に「颱」が入らず表外字になり、1956 年の「同音の漢字による書きかえ」で、颱風は台風と書くことが示されました。いま私たちが打つ二文字は、このとき生まれた代用表記です。
第4話 · 名付け親の、最後の一行
話は 1914 年に戻ります。その岡田が『気象集誌』へ寄せた「颱風雑記」は、冒頭でこう断っています。「颱風こそ英語 typhoon のもとだ」という説は明治三十五年の同誌で詳述した、と。少なくともこの時点の彼にとって、言葉は東から西へ出ていったものでした。
そのうえで、欧米の説を並べます。広東語の大風(tai fung)だとする、宣教師モリソンの説。ギリシャ語で旋風を指すτυφών——神話の怪物テュポンの名——だとする説。アラビア語 ṭūfān、「洪水を起こす暴風」だとする、ドイツの東洋学者ヒムリーの説。
並べ終えたあと、その一節はこの一行で終わります。
真偽未だ知る可からず——岡田武松「颱風雑記(第一稿)」『気象集誌』1914 年
いまの辞書も、一つには決めません。船乗りの口を渡るうちに音が混ざり合い、英語の綴りだけがギリシャ語風へ整えられた。そう、絡まったまま説明しています。
「台風」と打つとき、その二文字には、野分の秋と、南シナ海の颶と颱、そして決めきれなかった名付け親の一行が畳まれている。風のほうは、今年も律儀に来るのに。