「大器晩成(たいきばんせい)」を使うのは、だいたい、誰かを励ますとき。まだ芽の出ない後輩に、伸び悩む自分に、「大丈夫、大器晩成型だから」と。大きな器は、遅れて完成する。いつかきっと、と。
出典は『老子』第四十一章——のはずでした。ところが 20 世紀の終わりに土から出てきた竹簡の束が、この励ましの足もとを、静かに揺らします。
第1話 · ひとつだけ、揃わない
まず、通行している『老子』第四十一章(王弼本)を並べて読んでみます。
大方は隅(すみ)無く、大器は晩成し、大音は希声(きせい)、大象は無形
大きすぎる四角には、隅がない。大きすぎる音は、聞こえない。大きすぎるかたちは、目に映らない。——どれも「大きくなりきったものは、その属性を失う」という、同じ否定の型です。
なのに、二句目の「大器」だけが「晩成する」と肯定してしまう。ひとつだけ、揃っていない。王弼注の校釈で知られる樓宇烈(ろううれつ)も、ここに首をかしげました。この句だけ「器」の反対を言っていない、と。
第2話 · 荊門の土の下から
1993 年 10 月、湖北省荊門市(けいもんし)。郭店一号楚墓(かくてんいちごうそぼ)から、竹簡の束が出土します。書き写されたのは戦国時代のなかごろ、紀元前 300 年前後——現存する、最古の『老子』でした。
そこにあった字は、「晩」ではありません。
大器曼成。
前漢初めの馬王堆帛書(まおうたいはくしょ)乙本は「大器免成」(甲本はこの箇所が欠けていて確かめられません)。「曼」も「免」も、「無」に通じうる字です。もしそう読むなら——大きな器は、完成しない。「遅れて完成する」ではなく、「完成という終わりを持たない」。四つの句が、揃います。
ただし、慎重に。「曼」の訓に定説はありません。「無」と読む説、「慢(ゆるやか)」と読む説、素直に「晩」と読む説——見解は割れたままです。
第3話 · 若すぎる字
香港の研究者・陳雄根(ちんゆうこん)は、ここに統計を持ち出しました。「晩」という字は、甲骨文にも金文にも見当たらない。『論語』にも『孟子』にも『左伝』にも出てこない。それが戦国の後期、『韓非子』や『戦国策』で急に増える。字として、まだ若すぎるのではないか、と。
では、いつから「晩」なのか。現存する最古の引用は、戦国末の『韓非子』喩老(ゆろう)篇。置かれているのは楚荘王(そそうおう)——三年のあいだ飛びも鳴きもしなかった鳥が、ひとたび飛べば天を衝き、ひとたび鳴けば人を驚かす、あの「鳴かず飛ばず」の故事です。韓非はこの句をそこに引き、荘王は早くに手のうちを見せなかったから大功があった、と解きます。
この時点でもう、「遅い」です。
第4話 · 人の口をつたって
一度そう読まれた言葉は、人の口をつたって歩きだします。
後漢の馬援(ばえん)も若い日、長兄の馬況(ばきょう)に「汝は大才、当に晩成すべし。良工は人に示すに樸(あらき)を以てせず」——いい職人は、削る前の荒木を見せない——と送り出されています。四字句ではありませんが、発想は韓非と同じ。見せない。だから、遅い。だから、大きい。
そして三国。魏の崔琰(さいえん)には、評判もなく親戚にすら軽んじられる従弟(いとこ)がいました。崔琰は、その男をいつもこう評したといいます。
此れ所謂(いわゆる)大器晩成なる者なり、終(つい)に必ず遠く至らん
四字が、そのまま人物評になった。そしてその従弟・崔林(さいりん)は、のちに本当に三公にのぼりつめます。予言は、当たった。
一字の違いが、二千年かけて、まったく別の名言を育てた。『老子』の原意は、もしかすると「大器は完成しない」だったのかもしれません。
だとしたら、皮肉な話です。「大器晩成」という言葉そのものが、まだ完成していないのですから。