天ぷらは、和食の顔です。海外の店でも tempura で通じます。

その名前が、日本語ではない——というのが最初の驚きで、有力な説の片方だと料理の名前ですらない、というのがふたつめの驚きです。

第1話 · 名前だけが、外から来た

油で揚げること自体は、天ぷら以前からありました。奈良・平安の唐菓子(からくだもの)にも、精進料理の揚げ物にもある。

外から来たのは「てんぷら」という音のほうです。十六世紀、ポルトガル人が種子島に流れ着き、宣教師や商人が続きます。その頃にこの音も入ったと考えられています。

文献に現れるのは、少し遅れてからです。寛文九年(1669 年)の料理書『食道記(しょくどうき)』に「てんふらり」の名が見えます。ただし添えられているのは「小鳥たたきて、かまくらゑび、くるみ、くずたまり」で、これが揚げ物だったのかは分かりません。

面白いのは、音だけが渡ってきて、意味は付いてこなかったことです。だから日本人は、何百年もかけて自分たちで語源を推理することになります。

第2話 · 「調味」か、「肉を断つ日」か

有力な候補が、ふたつあります。

ひとつはtempero / temperar。tempero は調味料、temperar は味をつける、という意味のポルトガル語です。『精選版 日本国語大辞典』は見出しに「tempero『調理』の意」と置いています。

もうひとつがtêmporas(テンポラス)。こちらは料理の言葉ではありません。カトリックで年に四回置かれた四季の斎日(しきのさいじつ)——肉を断って祈る期間を指す、暦の言葉です。もとはラテン語の quattuor tempora、四つの時期。

肉が食べられない日が、年に何度も回ってくる。そのあいだ、宣教師たちは魚や野菜を油で調理していました。日本人がそれを見て、揚げ物そのものではなく「その日の名前」のほうを料理名として覚えてしまった——という見立てです。

このほかにスペイン語の templo(寺)、「一時的な」の temporal も挙がります。そして事典によっては、こう釘を刺す。どの説も大航海時代の先入見から出たもので、文献的な裏づけは見つかっていない、と。

第3話 · 屋台の、立ち食い

いまの天ぷらは、板場の前で一品ずつ出してもらう料理でもあります。江戸のそれは、ほぼ正反対でした。

「油で揚げる」と調理法が明記されるのは、十八世紀の半ばから。音は江戸の前期からあったのに、いまの天ぷらと結びつくまで八十年近くかかっている。

広まったのは十八世紀の後半。大量の油を使うので、火事の多い江戸では屋内での商売がはばかられ、店は屋台になります。串に刺した魚介を胡麻油で揚げ、共用の丼の汁にちょっとひたして、立ったまま食べる。たねは江戸湾でとれた魚が中心で、一つ四文。そばや寿司と並ぶ江戸のファストフードです。

いまの天ぷら屋のかたち——カウンター越しに、揚げたてを一つずつ——は、この屋台の食べ方を座敷に上げたものだ、とも言えます。立ち食いの串が、そのままコースになった。

第4話 · 当て字と、鯛の逸話

「天麩羅」の三字も、意味から来たものではありません。天明のはじめ、大坂から出てきた利助という男が、魚のつけあげを夜店で売るのに看板の字を頼みました。書いて与えたのが、戯作者の山東京伝(さんとうきょうでん)です。

足下は今天竺浪人なり、ぶらりと江戸へきたりて売創る物ゆゑに天ふらなり……麩は小麦の粉にてつくる、羅はうすものとよむ字なり(『北越雪譜』二編)

天竺(てんじく)浪人が、ぶらりと江戸へ。麩は小麦の粉、羅はうすもの——小麦粉の薄物をかけた、という語呂合わせです。伝えているのは京伝の弟の京山(きょうざん)で、当人が戯言だと断っています。

もうひとつ有名なのが、徳川家康の逸話です。元和二年(1616 年)一月二十一日、駿河の田中で鯛の天ぷらを食べて腹をこわした。天ぷらで死んだ天下人として語られますが、亡くなるのは三か月後の四月十七日。いまは胃がんとみる説が有力です。名前も、字も、逸話も、あとから貼りついている。

それでもこの料理は、日本の顔として世界に出ていきました。ポルトガル語にも、いまは tempura が日本語からの借用語として入っています。名前ごと、戻ってきた。