「有頂天になる」。うれしくて舞い上がっている状態のことです。

有る、頂き、天。字を見れば、どこかのてっぺんの話だと分かります。実際そのとおりで、これは仏教でいう世界のいちばん上の天の名前でした。

ただし——そこは、上がりではありません。

第1話 · 有の、頂き

もとの言葉は梵語のバヴァーグラ。bhava が「有」、つまり存在すること。agra が「頂」。有頂は、その二字をそのまま置き換えた訳語です。

仏教の世界は、三階建てになっています。

一階が欲界。地獄も、私たちのいる人間界も、天の下のほうも、ここに入ります。二階が色界(しきかい)。欲は離れたけれど、まだかたちを持っている段階。三階が無色界で、かたちすら無い。

面白いのは、三階には場所がないことです。かたちが無いのだから、住む所も要らない。『倶舎論(くしゃろん)』は無色界について、はっきり「処無し」と書きます。

その、場所を持たない三階の、さらに最上段。ここが非想非非想処(ひそうひひそうしょ)——有頂天です。

もっとも、鳩摩羅什(くまらじゅう)が訳した『法華経』では、一つ下の階である色界のてっぺんにも同じ「有頂天」の字が当たっていて、どの天を指すかは昔から割れています。日本の国語辞典でも、『精選版 日本国語大辞典』や『デジタル大辞泉』は、むしろ色界のてっぺん(色究竟天)のほうを先に挙げています。ここでは論書の定義どおり、無色界の最上段として話を進めます。

寿命は八万大劫(はちまんだいこう)。劫というのは仏教の途方もなく長い時間の単位で、そのうえに「大」がつき、それが八万。数えるのをあきらめるための数字です。

第2話 · 上に、道がない

では、そこまで昇れば終わりなのでしょうか。

『大毘婆沙論(だいびばしゃろん)』が、こう書いています。

有頂に生まるるは爾(しか)らず。自地に聖道無く、又た上地の依るべき無し(『大毘婆沙論』巻百八十五)

有頂に生まれた者は、そうはいかない。自分のいる地には、さとりへ向かう道がない。そして、頼れる上の地も、もう無い。

つまり詰んでいます。解脱しようと思えば、一段下の地の道を借りるしかない。いちばん上まで行ってしまうと、次の一歩は下にしか置けないのです。

三界の最上階は、修行の到達点ではありませんでした。むしろ、最後に断ち切るべき煩悩の置き場として扱われます。

隋の吉蔵(きちぞう)という学僧が、『法華経』の注釈で一行、言い切っています。地獄を照らして苦の哀れさを明かし、有頂を照らして、楽もまた無常であることを顕す。

吉蔵自身は、この有頂を色界のてっぺんと読む側でした。どちらの天と読んでも、てっぺんの楽が続かないことに変わりはありません。

ついでに言えば、同じ『法華経』は三界そのものを火のついた家にたとえます。有頂天は、その火事の家の最上階です。

第3話 · 怒ったまま、昇った人

『大智度論(だいちどろん)』に、こんな話が載っています。

鬱陀羅伽(うだらか)という仙人がいました。五つの神通力を身につけていたのですが、あるとき王妃に足を触れられて、それを失ってしまいます。

取り戻そうと、林に入って坐りました。ところが鳥がやかましい。場所を変えて水辺に移ると、今度は魚がはねる音がする。

とうとう仙人は腹を立て、こう誓いました。魚も鳥も、みな殺しにしてやる。

やがて仙人は禅定を得て、非想非非想処——有頂天に生まれます。三界の最上階です。

そして八万大劫が尽きました。次にこの人が生まれたのは、飛狸(ひり)。魚と鳥を食う獣でした。無数の魚と鳥を殺し、量りきれない罪を作って、三悪道(さんあくどう)に堕ちたと『大智度論』は続けます。

のぼりつめた先で、誓いのほうが残っていたわけです。

第4話 · 地獄と、対で来た

日本語に入ってきたときの形が、よく残っています。

『精選版 日本国語大辞典』がいちばん古く掲げるのは、空海の『三教指帰(さんごうしいき)』。797 年ごろです。「上は有頂天に絡(まと)い、下は無間獄に籠(こ)む」——上は有頂天まで、下は地獄まで。

これは『法華経』の「下は阿鼻獄に至り、上は有頂天に至る」という定型句を、上下を入れ替えて踏まえた形です(無間獄は阿鼻獄の別名)。以後『曾我物語』でも『太平記』でも、有頂天は地獄と対になって出てきます。世界の上下の端を示す言葉だったわけです。

気分の話になるのは、ずっとあとの江戸でした。寛永の俳諧集『毛吹草(けふきぐさ)』に、こうあります。月を見る人の心や有頂天。うれしいというより、我を忘れて見入っている。

そして文化年間の『浮世風呂』になると、もう完成形です。「有頂天になって夜鍋仕事も手につくもんぢゃアねへ」。

地獄の反対側にあった天の名前が、地獄を置き去りにして、気分の名前になりました。

もっとも、あの仙人の例で言えば——地獄のほうは、置き去りにされていません。