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すべてのことば

全 23 本。新しい順に並んでいます。

#023 三国
泣いて馬謖を斬る ないてばしょくをきる

蜀漢 建興六年(228 年)、第一次北伐の先鋒として街亭を任された馬謖は、諸葛亮の指示に背き、水場を捨てて山上に布陣した。魏の張郃に水源を絶たれて蜀軍は崩壊、北伐は頓挫する。獄に下された馬謖を、諸葛亮は泣きながら軍法で斬り、自らも丞相から三等降格する——『三国志』蜀書 諸葛亮伝・馬謖伝・王平伝に残る「泣いて馬謖を斬る」の語源を物語として紹介します。

諸葛亮 読了 6 分 →
#022 日常語
ごちそうさま ごちそうさま

「ごちそう」のもとは漢語「馳走」——もとは馬を走らせて奔走することを意味した。日本に入って「世話を焼く」「もてなしの料理」へと意味が移り、食後の「ごちそうさま」として定着する。いま「いただきます」と対をなして使われる食後の挨拶——その語源を物語として紹介します。

読了 4 分 →
#021 南北朝
画竜点睛 がりょうてんせい

南朝梁の画家・張僧繇が、金陵の安楽寺の壁に四頭の白龍を描いた。瞳を入れない四頭の龍に、人々がしつこく瞳を入れるよう頼む。点睛の瞬間、雷電とともに壁が破れて二頭が天に飛び去り、瞳を入れていない二頭はそのまま残った——晩唐の張彦遠『歴代名画記』に伝わる「画竜点睛」の故事を物語として紹介します。

張僧繇 読了 5 分 →
#020 外来語
一週間 いっしゅうかん

いま当たり前の「一週間」、語そのものの初出は明治十二年の歌舞伎。七つの曜日のもとは古代バビロニアの神々で、ヘレニズム期に日月火水木金土の順が決まり、空海が大同元年に『宿曜経』を日本に持ち帰った。だが千年、それは暦注の道具どまり。明治の改暦と日曜休暇令で、千年眠った曜日が一気に生活の単位として目を覚ます——その語源を物語として紹介します。

空海 読了 5 分 →
#019 春秋
臥薪嘗胆 がしんしょうたん

春秋末、呉の闔閭は越に攻め入って親指を射られて死に、子の夫差は薪の上に寝て父の仇を誓った。前494年、夫椒で越王・勾践を破る。会稽で降伏した勾践は呉に三年仕え、帰国してからは胆を舐めて『会稽の恥』を自問し続けた。前473年、勾践は姑蘇で夫差を追いつめる。『史記』越王句踐世家に残る「臥薪嘗胆」の語源を物語として紹介します。

勾践 読了 6 分 →
#018 日常語
さようなら さようなら

「さようなら」は、もともと「左様ならば」の略。「そのようであるならば」という接続詞が、江戸後期の話し言葉で「さやうなら、御きげんよう」のように使われ、やがて後ろが省略されて、別れの挨拶として独り立ちした。幕末には早くも英語に入り、戦後の映画『サヨナラ』(1957) で英語圏に広く知られた「Sayonara」の語源を物語として紹介します。

読了 4 分 →
#017 三国
三顧の礼 さんこのれい

後漢末、荊州に身を寄せていた劉備は、軍師を求めて隆中に住む諸葛亮の草廬を訪ねた。一度目、二度目は留守、三度目にようやく対面が叶い、天下三分の計を授かる——『三国志』諸葛亮伝と『出師表』に残る「三顧の礼」の語源を物語として紹介します。

劉備 読了 6 分 →
#016 日常語
いただきます いただきます

「いただく」は、もともと両手で頭の上に押し戴く所作。古来、神や貴人から物を賜るときの作法だったとされる。仏教では「頂戴」として深まり、食前の挨拶として全国に広まったのは、明治・大正の学校での作法教育、戦後の学校給食を経てから。いまも食卓で繰り返す「いただきます」の語源を、諸説をたどりながら紹介します。

読了 4 分 →
#015 戦国
虎の威を借る狐 とらのいをかるきつね

戦国時代の楚、宣王が「北方諸国はなぜ昭奚恤を恐れるのか」と問うた。説客の江乙が答える——「虎に捕まった狐が、私は天帝に百獣の長を任された者だ、信じぬなら後ろを歩け、と言い放った」。『戦国策』楚策一に残る「虎の威を借る狐」の語源を物語として紹介します。

江乙 読了 5 分 →
#014 日常語
もしもし もしもし

明治23年(1890年)、東京・横浜間で電話が開通した。受話器の向こうの相手を呼ぶ言葉として「おいおい」「申します申します」が試され、やがて「もしもし」が定着する。妖怪は「もし」と一度しか呼ばない——だから二度続ける、という伝承もある。日常で口にする「もしもし」の語源を物語として紹介します。

読了 4 分 →
#013 前漢
塞翁が馬 さいおうがうま

前漢の頃、北の辺境(塞)のほとりに占いの上手な老人が住んでいた。馬が逃げ、戻り、息子が落馬し、戦が起こる——『淮南子』人間訓に残る、禍と福が入れ替わり続ける四場面の寓話。「人間万事塞翁が馬」の語源を物語として紹介します。

塞翁 読了 5 分 →
#012 日常語
ありがとう ありがとう

古代インドで、釈尊は弟子たちに語った——「大海を漂う一本の浮木の穴に、百年に一度浮上する盲目の亀が首を通す。人として生まれることは、それと同じくらい稀有である」。漢訳されて中国・日本へ渡った「有り難し」は、「めったにない」から「感謝」へと意味を変えた。日々口にする「ありがとう」の語源を物語として紹介します。

釈尊 読了 5 分 →
#011 戦国
朝三暮四 ちょうさんぼし

戦国時代、宋の国に狙公(そこう)という、たくさんの猿を可愛がっていた老人がいた。エサが足りなくなり「朝に三つ、暮れに四つ」と告げると猿は怒り、「朝に四つ、暮れに三つ」と言い直すと喜んだ。合計はどちらも七つ——『列子』黄帝篇と『荘子』斉物論篇に残る「朝三暮四」の語源を物語として紹介します。

狙公 読了 5 分 →
#010 戦国
大丈夫 だいじょうぶ

戦国時代、孟子は当時もてはやされた縦横家・公孫衍と張儀を見て言った——「あれは大丈夫ではない」。富貴に淫せず、貧賤に屈せず、威武に屈せず——それが孟子の説いた「大丈夫」。日本に渡って意味が変わり、現代では「問題ない」の代名詞になった「大丈夫」の語源を物語として紹介します。

孟子 読了 5 分 →
#009 戦国
杞憂 きゆう

古代中国の小国・杞の人が、天が落ちてくるかもしれないと心配して、夜も眠れず食事も喉を通らなくなった。友人がやってきて「天は気の集まり、落ちてこない」と説き伏せる——『列子』天瑞篇に残る、いまも使われる「杞憂」の語源を物語として紹介します。

列子 読了 5 分 →
#008 戦国
五十歩百歩 ごじっぽひゃっぽ

戦国時代、梁の恵王は孟子に問う——「自分は民のために尽くしているのに、なぜ人民が増えないのか」。孟子は戦場の譬えで答える。五十歩逃げた者が、百歩逃げた者を笑えるか——『孟子』梁恵王上篇に残る、有名な譬え話の由来を物語として語ります。

孟子 読了 5 分 →
#007 戦国
漁夫の利 ぎょふのり

戦国時代、北の趙が隣国の燕を攻めようとしたとき、燕のために遣わされた説客・蘇代が趙王の前で語った一つの譬え——シギと貝が川辺で互いに譲らず争ううちに、どちらもまとめて漁師に捕らえられてしまう。両者の争いは第三者を利するだけだという「漁夫の利」の由来を、『戦国策』燕策二の物語として紹介します。

蘇代 読了 5 分 →
#006 楚漢
四面楚歌 しめんそか

楚漢戦争の最終局面、紀元前202年の垓下。漢軍に幾重にも包囲された項羽は、夜、四方の陣から故郷・楚の歌が聞こえてくるのを聞く。味方のはずの楚の人々まで漢に下ったのか——『史記』項羽本紀に伝わる「四面楚歌」の故事を、覇王の最後の夜として語ります。

項羽 読了 6 分 →
#005
推敲 すいこう

唐の長安、ロバに揺られながら詩を練っていた賈島は「僧は推す月下の門」か「僧は敲く月下の門」かで迷い、街中で京兆尹・韓愈の行列に突っ込んでしまう。『鑑誡録』に伝わる「推敲」の故事を、長安の街角の一場面として語ります。

賈島 読了 5 分 →
#004 楚漢
背水の陣 はいすいのじん

楚漢戦争、紀元前204年の井陘の戦い。漢の韓信が趙の二十万を破った勝利の名前——「背水の陣」。川を背にした布陣の裏に、もうひとつの策があった。『史記』淮陰侯列傳の物語を、戦の名場面として語ります。

韓信 読了 6 分 →
#003 戦国
蛇足 だそく

戦国時代の楚、祭礼の酒をめぐる賭けで蛇を描き終えた男が、調子に乗って『まだ足も描ける』と一筆を加えた——。説客・陳軫が将軍・昭陽に語った「蛇足」の寓話の由来を、物語として紹介します。

陳軫 読了 5 分 →
#002 戦国
矛盾 むじゅん

戦国時代、楚の市場で矛と盾を売る商人がいた。「何でも貫く矛」と「何でも防ぐ盾」。観客のひとりが訊いた——「じゃあ、その矛で、その盾を突いたら?」。『韓非子』が遺した有名な寓話の由来を物語として語ります。

韓非子 読了 5 分 →
#001 戦国
完璧 かんぺき

戦国時代、趙の藺相如が秦から国宝『和氏の璧』を一切の傷なく持ち帰った物語。「完璧」という言葉の語源を、命がけの外交譚として語ります。

藺相如 読了 6 分 →